「首都大学東京 オープンユニバーシティ講座 大コーカサスの世界・ジョージア(グルジア)編III」

「1956年3月のトビリシ事件(1956Tbilisi Riot)」と名付けられた事件をこの講義で知った。そうして、ゆっくりと1990年4月に見たトビリシの街の光景が記憶の底から浮かび上がってきた。

私はトビリシの中心地に居た。目の前ある大通りにはカーネーションが溢れ、通りのセンターラインにまでにはびっしりと置かれている。黒服の女性たちの多くは沈んだ表情で何やら祈りの言葉を唱えている。隣の友人のアルメニア人によると、前の年にソ連軍のタンクが街に入りグルジア人が犠牲者になったことに対する哀悼ということだ。それ以外にも過去にソ連軍はトビリシの街を蹂躙したことがあると言っていたような気がするが、当時の私は鈍感だった。

私がLGUでの語学留学のためレニングラード(現在のペテルブルグ)に入ったのは1989年9月初め、既にハンガリーオーストリア国境がざわついていた。11月にはベルリンの壁が崩壊、続いてチェコスロバキアビロード革命。12月にはルーマニアチャウシェスクが処刑され、年が明けると今度はリトアニアソ連軍の戦車が進行。そういう穏やかならぬ状態の中で生活してたたせいだろうか、そのときはそのグルジアの事件に特段の注意を払わず、そのまま記憶の奥底に埋もれてしまっていた。

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