ウクライナについて考える


10世紀の大国、キエフルーシと現在のウクライナという国は、地理的な側面を除くと、直接の関係はない。現在のエジプト政府が古代エジプト文明のファラオの後継者であると主張したり、今のマケドニア人がアレキサンダー大王の偉業を誇りの思うようなものであろう。ウクライナの歴史を紐解いてみると、ポーランドとモンゴルに翻弄された後、モスクワ大公にキエフルーシの後継者の地位を奪われ、キエフ公国はポーランドの支配下にはいり、さらに強大となったロマノフ王朝ののロシアに飲み込まれてその一地方と成り下がってしまう。ロシア革命期には独立国家設立を試みるが、ロシア人中心のボリシェビキにその意図を潰され懐柔的なウクライナ共和国を「与えられる」ことになってしまい、健全な国家概念を形成できなかったのは地政学的な不幸であったとしか言いようがない。周囲を見回して似たような境遇の地域を探してみたところ、ベルギーが似ているような気がする。ガリア戦記にも登場する勇敢なベルガエ人という歴史的な祖先が住む地であり、フランスとドイツという大国に挟まれた地政学的に非常に難しい場所にあるこの国は、一つの国家になるべくして苦悩を続け、別の方面からのソルーションになりえたであろうEUという概念もチャレンジを受けている現在、その未来は不透明である。ベルギーの苦悩を見ると、「若い国家であるウクライナなんぞ、まだまだ苦労が足りない!」と考えたりもしてしまう。f:id:msugioka:20160528124039j:image