Oleg Tinkov, Олег Тинков

モスクワ駐在中に、ティンコフという名前のビアガーデンがモスクワのイギリス大使館近くにオープンしたと聞いて、もしや?と思った。話を聞いてみて、あのペトロシップのティンコフだと分かった。彼とは一度だけ会ったことがある。

1999年の初め、多分1月ごろだったと思う。前年1998年の8月にドル建てロシア政府債が事実上のデフォルト(正確には、対外債務の90日間の支払い停止)、それに続くルーブルの急落による金融・経済の大混乱となった。「黒物家電」を扱うペトロシップも忽ち資金繰りに窮し、支払いが滞った。私が勤務していた会社はペトロシップに与信があったが、全額スイスの銀行が発行する銀行保証で担保していた。支払い遅延が3ヶ月以上続き、銀行保証を行使せざるを得なくなり、その前に筋を通す意味でオーナーであるティンコフ氏に面会を求めたのだ。

往時にはペテルブルグのネフスキー大通りを猛スピードでスポーツカーを走らせ、交通警察に止められると直ちにドルを握らせて走り去るといった生活をしていたらしいが、ルーブル危機直後の彼のオフィスはペテルブルグ郊外の廃墟のような建物にあった。

細かいことはもうすっかり忘れてしまったが、その建物に入り、薄暗い階段を徒歩でゆっくりと上っていた時の光景だけはなぜか目に焼き付いている。踊り場には電灯さえなく、窓からの冬のペテルブルグの鈍い光だけが唯一の明かりだった。階段を上っていると、ティンコフ氏がオフィスのドアを開けて我々を招きれてくれた。覚えているのはそれだけである。彼のオフィスの様子は全く記憶にない。

「支払いが滞っているので、申し訳ないが、頂戴しているスイスの銀行の銀行保証を行使したいので了解して欲しい」と申し入れると、明るい調子で、「そんなこといちいち了解を求めなくてもいいんじゃないの。銀行保証を出した時点で、そういうものだと思っている」とサバサバとした調子で了解してくれた。そのあとは、これからどうするのかなどあれこれと話をしてくれたような気がするが、よく覚えていない。

その彼が今度はビアレストランで成功を収め、ペテルブルグからモスクワへ進出したのだ。

そあれからまたしばらく時間が経ち、またティンコフの名前を耳にする機会があった。全く思いも寄らない場面で。ツール・ド・フランスだ。

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