Finding Today
毎日何らかの発見あり。今日は初めて通勤路以外の道路を車で走ってみた。こちらZeeland州の運転速度はかなり早い。制限速度より少し遅めで走っていたら、全てのクルマにぬかれてしまった。Aセグ運転しているお年寄り、ボートを引っ張っているアコード、悉く鬱陶しそうに私を抜き去って行った。こちらはフワフワのポロの感覚がまだ掴めなくて、スピードを出すのが怖いのだ。注文したプジョー208、契約書はまだ届いていないし、契約してからも納期は 3ヶ月ぐらいかかるだろうし、納車は多分秋頃。のんびりと待つしかない。
Day9 ロッテルダム
6月2日にアムステルダム到着、そのままZeeland州のMiddelburgのホテルへ移動。
今日、6月11日午前9時に、運河沿いにあるMiddelburgの市役所でBSN番号(住民登録?)の申請完了。後は、市役所からの通知を待つだけ。
その後そのままMiddelburg駅からRotterdam中央駅に列車Intercityで移動し、午後1時45分のアポでロッテルダムの移民局でパスポートに労働許可のステッカーを貼ってもらう。このステッカーは 3ヶ月の有効期間で、別途また手続きをして労働カードのようなものを作成してもらい、再びここロッテルダムにピックアップに来る必要あり。
MiddelburgとRotterdamの列車の移動時間は約1時間半。片道22ユーロぐらい。切符の購入で小トラブル。Middelburgは州都とへいえ人口4万人の田舎町、券売機が壊れているのかデビットカードもクレジットカードも受け付けてくれない。券売窓口も無く、無人駅?この券売機、キャッシュはコインのみOKなので、小銭で22ユーロは無理。しょうがないので、オランダ国鉄のアプリをダウンロードし、ネットベースで購入トライするけど、なぜか日本のクレジットカードを受け付けてくれない。最終的には同僚にネットで購入&そのQRコードをメイルで転送してもらいました。これで車内の検札&ロッテルダム中央駅の改札も無事クリア。
帰りは、Middelburgにあるのと同じ券売機でトライしたら、あっさり日本のクレジットカードを受け付けてくれました。さすが大都会?Middelburgの券売機でクレジットカードがNGだった理由は謎のまま残る。
「密やかな結晶」小川洋子(講談社文庫)
文章にフリルが多すぎる、それらのひとつひとつの表現はとても美しいのだけれども。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に似てるかも。
そんなことはさておき、
私自身の記憶は、「真っ暗な台所と真っ赤な竈門の火」まで遡ることができる。多分私はその時泣いていたと思う。早朝でご飯を炊くため、一緒に寝ていた祖母がいなくなったのに気付いて、台所まで歩いて行って泣いていたのだ。これが私の最も古い記憶で、それ以前の記憶はない。この辿ることのできる記憶の前に私の身に起こったことは私にとっては存在しないのも同然。仮にその間にひどい病気をしたとしても、私にとってはそんなことは無かったとも言えるし、死んでしまったとしたら、私はそもそも存在していなかったと同じことなのだ。ただ周囲の人々の間に記憶として残っている限り存在しているに過ぎない。いや、人々の記憶に残っていることそのものが存在するということの本質かもしれない。そんなことを考えさせてくれる小説である。
「ヒトラー演説 熱狂の真実」高田博行著(中公新書)
ヒトラーの全演説で使われている単語、フレーズを統計的に分析するということで、面白い結論を期待して読んだが、少々期待外れ。ナチ党による政権獲得までと、獲得後のヒトラーの演説に現れる単語・フレーズの分析は、それ自身で何かを語るというよりは、歴史の流れをヒトラーの演説から裏付けることはできるのかもしれない。
ナチ党の政権奪取は必ずしも一本調子で順調に進んだわけではない。第一党になった後は強引に法律改正して共産党を非合法化し、共産党の議席をそのままナチ党が奪って国会の過半数を握った経緯、そして「全権委任法」を成立させてナチ党が立法権を議会から奪った経緯、なぜドイツ国民はそれを止められなかったのか。。。
ニュースを読む
このところ、連日インドでのコロナの猛威が報道されている。特に医療用酸素不足が強調されている。
酸素不足以外は特に問題はないということなのか?それとも、酸素不足にも関わらず、自動車産業を始めとする産業側が限られた酸素の確保を執拗に求めるため、国際世論に訴えたということなのではないのか?
https://www.jetro.go.jp/biznews/2021/04/b230712dfaa0e372.html
ツイッターで「スズキの対応、素晴らしい」という反応があった。多分、この反応はJETROの目論見通りだろうと思う。しかしながら「国際世論のプレッシャーで、人道的な対応を取る必要があることにスズキのマネジメントが気付き、遅ればせながら対応した」というのが実態のように思う。
最後の授業
「帝国・国民・言語」平田雅博+原聖編(三元社)
ドーデの月曜物語の中にある「最後の授業」、これはキュリー夫人が子供の頃に帝政ロシア下のポーランドの学校で経験したロシア語の押し付けとは違うもの、むしろ真逆であると思い込んでいた。アルザスの子供たちはドイツ語の方言とも言えるアルザス語が母語なのだから、学校でフランス語の授業がなくなるのはごく自然なことであり、アメリ先生の最後の授業での言葉は欺瞞そのものと単純に理解していたのだ。
上に挙げた本の第五章、「アルザス・ユダヤ人の「同化」と言語ー19世紀前半の初等教育政策を例にしてー」(川崎亜紀子)を読むと、19世紀のアルザスの言語状況はそのように単純では無いようである。アルザスの地が、神聖ローマ帝国からフランス領(領土という概念は要注意)となって既に200年近く時間が経過しており、アルザス語母語の人々のフランス語の受入も相当程度進んでいたと思われる。また、フランス政府はアルザスの初等教育学校においてドイツ語を全く排除していなかった様なのである。その一方で母語であるアルザス語は(アルザス・イディッシュ語と同様に)文化的でないということで撲滅が図られていたらしいのだ。